こんにちは。吉原校高等部です。
7月進研模試の結果がオンライン上で見ることができます!個票が配られたら文理にも持ってきてください。
【結果速報】
富士東高校1年 数学 学年1位✨
よくがんばりました!先日も自習、質問をして分からないところをなくして帰宅していきました!
まだまだ、結果回収中なので、判明し次第ブログにてお知らせいたします。お楽しみに!
若山
こんにちは。吉原校高等部です。
7月進研模試の結果がオンライン上で見ることができます!個票が配られたら文理にも持ってきてください。
【結果速報】
富士東高校1年 数学 学年1位✨
よくがんばりました!先日も自習、質問をして分からないところをなくして帰宅していきました!
まだまだ、結果回収中なので、判明し次第ブログにてお知らせいたします。お楽しみに!
若山
こんにちは。吉原校高等部です。
もうすぐ夏休みが終わりますね。いかがでしたでしょうか。
高1・高2は夏休み課題はもうとっくに終わっていることだと思います。夏休みの課題をすべて終え、分からないところを質問してる生徒がちらほら。たかが夏休み課題ですが、されど夏休み課題。指定された範囲を計画を立て、実行、完璧に仕上げ、課題テストを迎えるといった一連の流れを乗り越える力が必要です。これは、夏休み課題に限った話ではないですが、せっかく課題をやるのであれば、効果がでるようにやりましょうということです。
高3は、8月24日に、記述模試がありました。この夏で勉強した成果がこの模試で徐々に現れてくるころでしょう。結果が判明したら持ってきてくださいね。志望校をまだ決めかねている人は早めに相談しに来てください。
余談ですが、私は4日間ほど夏休みをいただいておりました。お盆前の夏休みということで、誰とも予定が合わず、結局一人で映画館で映画を見ました(2作品)。(ちなみに私の友達は、お盆にシンガポールに行ってきたそうです。私を省いて!!)
若山
みなさんこんにちは。吉原校英語科の足川です。
いやー、毎日暑い日が続きますねぇ~。
こういう暑いときには暑さを吹き飛ばす疾走感のある音楽が聴きたくなりますよね?(いや、逆に暑いからこそ静かな曲を聴きたいって人もいると思いますが…。)
今回は「ド定番」な曲をピックアップしてみました!気になった人は検索して聴いてみてね!意識がぶっ飛びます!よって、暑さもぶっ飛びますよ!
① All I want / Off spring (オフスプリングはメタル系ではないけれど…。いいんです!)
② Raining blood / Slayer (迷わず聴けよ、聴けばわかるさ!スラッシュ・メタル最高!)
③ Through the fire and flames / Dragon Force (超高速ギターソロ&美しいメロディーにしびれます!昇天!)
④ Battery / Metallica (メタリカについては「nothing to be desired」だよ!「Dyers eve」も疾走感あるよね!)
⑤ Painkiller / Judas priest (ロブ・ハルフォードって何かすごいよね…。獣の叫び声みたいな…。)
⑥ Aces high / Iron maiden (メイデンはメタル界のホームラン王です!私はメイデンからメタルにはまった!)
縄文時代の人が現代にやってきたら、現代人はみんな魔法使いと思うかもしれない。確かに、我々は乗り物を使って高速で移動できるし、飛行機を使って空も飛べる。ガスコンロはスイッチ一つで火が付くし、蛇口をひねれば水が出てくる。しかしこれらは魔法ではなく、科学技術の結晶に過ぎない。ファンタジーに登場する魔法使いたちも、同じように空を飛んだり薬を作ったりしているが、魔法と科学技術の違いは一体何なのだろうか。
赤駒
魔法使いという言葉があるように、魔法を使えるのは特別な人である。箒を使って空を自由に飛び回り、火や水・電気を自由自在に操ることができたらさぞ便利であろうが、我々のように魔力を持たない人間がどんなに頑張っても、魔法を使えるようにはならない。
青駒
科学技術と魔法の違いは、原則的に誰でも手順さえ守れば同じものを作ったり使えたりすることである。もちろん、飛行機を作ったり操縦すること、薬を作るということをするためには、膨大な勉強と訓練、時には身体的な適性が求められたりもする。しかし、魔法のように特別な存在でなかったとしても、「学ぶ」ことによって多くの人がそれを達成できる可能性を秘めている。人類が長い年月をかけて作り上げてきた科学の結晶を学んでいくのは簡単なことではない。しかし、学んでいくことによって得られるものは大きいでしょう。
どんな世界を見てみたいと思いましたか?
まだわからないという人はまずは知るところから始めていきましょう。
SCIENCE is ELEGANT
「知る」ことで世界が「広がる」、「学ぶ」ことで世界が「色付く」
文理学院吉原校 理系担当 伴野
こんにちは。吉原校高等部です。
夏期講習が始まっています!今年は、今まで文理に来たことがない方々が多く来てくださっています。ありがとうございます。
C日程(4日間の夏期講習)は8月1日からとなります。直前まで申し込みを承っております。
また、2日間講習も8月から始まります!各テーマ別講座となっておりますので、
夏期講習のお問い合わせは、吉原校TEL0545-53-0050まで、お気軽にご連絡ください。
*国語は、通常授業は開講しておりますが、2日間講習はございません。
黄色になっている箇所は、時間帯が通常と異なりますので、ご注意ください。
勉強に打ち込む夏があってもいい
(若山)
こんにちは。吉原校高等部です。
7月14日(月)に中学3年生の進路決意会に参加させていただきました。
吉原校小中学部のブログ(進路決意会 | 文理学院 校舎ブログ(吉原校小中学部))でも様子が載っていますので、ご覧ください。
今回、中学3年生に進路決意会を行いましたが、進路を決めるのはとても難しいことです。高校生でも、やりたいことが見つからないから大学・学部が決められないといった悩みを持っている子が少なくありません。だからといって、進路を考えなくてよいということではありません。自分の人生を少しづつ考えていこうという目的で中3のこの時期に進路決意会を開催しました。すこしでも将来について考えることができれば、普段の勉強も点と点が線で結びつくようになるのではないかと思います。
【吉原校小中学部からのお知らせ】
7月19日(中3)から夏期講習スタート!
最後の説明会は7月19日16:00~
(若山)
こんにちは。吉原校高等部です。
先週の土曜日(7/19)に新聞折り込みチラシに吉原校・中島校合同広告を出させていただきました。今回も中島校の校舎長の廣瀬先生に作成してもらいました。やはり、白黒よりカラーの方が見やすいということで、ぜひご覧ください!!

今回のチラシには、1学期中間テストの結果を載せさせていただきました。
吉原高校1年2年数学共に1位!コツコツ頑張ってくれました。
成績向上、学習習慣の確立、意識・行動を変えるなら、文理学院吉原校にお任せください。
夏期講習のお問い合わせは、吉原校TEL0545-53-0050まで、お気軽にご連絡ください。
お申し込みは、吉原校にお越しいただき、申し込み用紙の記入と夏期講習費の支払いをお願いいたします。
吉原校高等部の時間割と各講座の詳細はこちらから。
1教科から受講可能です。夏期講習申し込み後、8月中は自習室の利用できます。夏期講習、好評受付中です。
小さなことの積み重ねが、大きな結果となる。
若山
国語界の「THE KING」あらかわです。この校舎ブログでは私が面白いと思った小説や作家をいろいろと紹介し、能書きを垂れたいと思います。
前回(前回はこちらをクリック!)から続く、恩田陸による傑作音楽小説『蜜蜂と遠雷』について、後半では「なぜ文面から音楽が聞こえてくるのか?」の正体に迫っていこう。
これは『蜜蜂と遠雷』のレビューを見ても分かるが、多くの人が感じているようだが、私は「音楽が聴こえたか?」と尋ねられたら、正直な私は「それはない」と答えるしかない。しかしこれは『蜜蜂と遠雷』の魅力と凄まじさを伝える上キーポイントとなってくる。
『蜜蜂と遠雷』で私たちの多くは、確かに音楽を聴いたような体験をしている。メロディーを聴いていないにも関わらずだ。なぜだろうか?これはつまり、『蜜蜂と遠雷』を読むことによって、私たちは音楽を聴いたのではなく、音楽を「感じた」からなのである。ここに『蜜蜂と遠雷』の凄さ、そして恩田陸という稀代の作家の恐ろしいまでの技量の高さが伺えるのである。
前半で書いたように、『蜜蜂と遠雷』ではコンテスタントの優劣を付けるために、あらゆる表現方法を駆使している。コンテスタントの技術を解説し、彼らの生き様を見せ、価値観を共有し、臨場感を演出し、感動を呼び起こし、音楽の素晴らしさをこれでもかと提供してくれている。人間が音楽に対して感じられるものが『蜜蜂と遠雷』にはすべて揃っている。
これは言い換えると「聴こえる」以外はすべて表現されていると言えるだろう。つまり『蜜蜂と遠雷』で聴こえる音楽というのは、上質な文章によって「聴こえる」の輪郭を色濃く縁取った結果、浮き上がってきたものなのだ。
文字で音楽を伝えることはできない。でも確かに私たちは『蜜蜂と遠雷』で音楽を感じた。矛盾した表現になるが、音楽が無かったとしても感じているのあれば、それは間違いなく『蜜蜂と遠雷』の中に音楽は存在していたという証拠である。
クロスモーダル現象などを代表するように、人は情報が足りていなくとも、補って修正する能力がある。人は不足を実感したときにこそ、強く印象を持つのである。
『蜜蜂と遠雷』を読み終えた、または読んでいる最中に作中の楽曲を検索した方はきっと少なからずいるだろう。でも本当に音楽が聴こえていたのであれば、そんな行為は必要ないはずだ。
だが、実際私たちが『蜜蜂と遠雷』で感じていたのは「音楽の輪郭」だったから、その埋め合わせがしたくなってしまうのである。ある意味で、その「音楽への飢餓感」が『蜜蜂と遠雷』を一気読みさせる原動力になっているのだ。
国語界の「THE KING」あらかわです。この校舎ブログでは私が面白いと思った小説や作家をいろいろと紹介し、能書きを垂れたいと思います。
『蜜蜂と遠雷』
恩田陸による傑作音楽小説であり、第156回直木賞に第14回本屋大賞受賞と、文壇界にも一般読者にも広く認められた、完全無欠に近い作品である。
正直、私は第1回本屋大賞受賞作の『夜のピクニック』はあまり評価していないし、独特のSFチックな「恩田ワールド」は少々苦手なのだが、この作品は私が10万50年近く培ってきた読書人生の中でもTOP20には入る名作である。映画は○○だったケドな。そもそも主人公が・・・。松岡茉優が可愛かったことだけが救い。
今回は、
・『蜜蜂と遠雷』はなぜこんなにも面白いのか?
・「文章から音楽が聞こえてくる」の正体とは?
この非常に重要な2点について、前後半に分けて限界まで語り尽くしてみたい。
『蜜蜂と遠雷』はなぜ面白いのか?
『蜜蜂と遠雷』はバトルものである。『蜜蜂と遠雷』がピアノコンクールを舞台にしており、各演奏者の勝ち抜き戦が繰り広げられるから、という意味ではない。
『蜜蜂と遠雷』にはもっと重要な要素がある。それは「強さの見せ方」にある。「強さの見せ方」の巧みさ、多彩さによって『蜜蜂と遠雷』はバトル的な面白さを生み出し、そして多くの人を惹きつけたのだ。
そもそも文字は音楽ではない。しかし音楽小説において、しかもコンクールとなれば、どうにかして各コンテスタントの強さや優劣を表現しなければならない。
ではどうやって、小説という文字媒体で音楽の優劣や、コンテスタントの強さを表現するか?(読者に納得させるか)それには主に4つの方法がある。
①テクニックを描写
これは4つの中でも一番分かりやすい。ピアノを弾く上でのテクニックについて、他の競技者よりも上回る表現をすれば良い。
②イメージを描写
視覚や感情を操るのは小説の超得意分野だ。なので、これを音楽の代わりとする。音楽が鳴ったときのイメージ、聞いている人の心象風景をビジュアルに描写する。コンテスタントの演奏によって喚起されるイメージが壮大であればあるほど、強さの表現として成り立つだろう。
③リアクションを描写
これもかなりシンプルだが、それゆえに強烈。驚く、鳥肌が立つ、涙が流れる、震える・・・などの身体的な反応を見せることで演奏の強さを表現する方法だ。
④評価を描写
最後はこれ。作品内に存在する(『美味しんぼ』でいう海原雄山みたいな)「分かっている人」に評価させる方法である。「こんな才能は見たことがない」とか、某プロレス解説者のように「スゲー、人間じゃねー」とか、「○○くんさぁ、コレ実は××の方がイニシアチヴ握ってるんだよねー」とか、「エッヴリスィィィン!」みたいなことを言わせることで、比較や優劣をつけることができる。
番外編
あと、正確には強さの表現にはならないのだが、あえて「表現しない」というものもある。例えば、演奏を開始しようとした瞬間に別のシーンに移るなどして、肝心なところを見せない。で、後日談とかで「あれは伝説の演奏だった」みたいに言わせる。これによって、読者の中で勝手に「伝説の演奏」が生み出されるわけだ。書いていないけど、生み出せるというとっても省エネなテクニックだが、簡単に使えるものでもない。それに何度も使えるわけでもないから難しいところだろう。
以上の方法を効果的に織り交ぜることで、恩田陸はピアノコンクールでの競い合いを、バトルものの構造に仕立て上げ、面白さを演出している。
あと再読して気づいたのだが、さらに凄いのが『蜜蜂と遠雷』では一貫して「否定がない」のである。コンクールで優劣が付けられるストーリー展開なのに、登場人物たちへのマイナスな描写が一切なく、肯定同士の対決になっているのだ。多分だけど、これは恩田陸が実際にピアノコンクールを取材して、各コンテスタントの様子を見たときに感じた敬意の表れなのだと思う。
私も幼少のみぎり、ピアノを少々嗜んでいた経験があるので分かるのだが、コンテストに出るような人間というのはマジで化け物だ。音楽に対して真摯だし、テクニックは神の領域。減点方式で採点されるようなレベルは遥かに超えていて、「どちらがより高みを見せたか」という世界の住人なのである。
そんな天上人である彼らの戦いを描写するに、あからさまな意地悪キャラが出てきて波乱を巻き起こすような要素はそぐわない。もっと崇高で、純粋な技量の戦いが相応しい。だからこその「否定ゼロ」なのである。「高みを求める者の頂上決戦」だけの表現で押し切ったという偉業に素直に拍手を送りたい。
私が『蜜蜂と遠雷』を読み終えたとき、めちゃくちゃ面白かったし、壮大な物語が終わった満足感と喪失感でいっぱいだった。と同時に「なぜこの作品がこんなにも広く愛されているのか?」を言語化したいと思った。読み終えると今度は作品を深堀りしたくなる。食べきったら皿まで舐める。それがマニアってもんだ。だから本当の食通は食材とか食器の御託はいいから、皿を舐めなさい。シェフを呼んで褒める時間があったら舐めろ、皿を!
ピアノコンクールという特性上、相手を傷つけ合うような戦いはそこには存在しない。お互いの「最高」を披露し合う。ここが『蜜蜂と遠雷』を読んでいるときに生まれる幸福感に大きく寄与していると思う。物語の中で誰かが大きく挫折したり、理不尽に傷つけられたり、実力が足りないために虐げられたりといった、ある種の「心配」をする必要がない。物語の温かみや愛情が感じられるから、信頼を持って読み進められるのだ。
続きは「後半」で。