【吉原校高等部】読書のススメ(その9)

国語科の「THE KING」あらかわです。この校舎ブログでは私が面白いと思った小説や作家をいろいろと紹介し、能書きを垂れたいと思います。

 

 

お待たせしました。お待たせし過ぎたかもしれません。前回からの続きです。

東野圭吾から紐解く「読書精神年齢」

【乳児期】

小説を読み始め、その世界に触れ始めたときである。このときは何が面白くて何がつまらないか分からない状態である。どんな本も受け入れ、それなりに感動できてしまうまるで善悪のつかない天使のような状態である。東野圭吾の存在も「世の中にたくさんいる小説家のひとり」程度の認識しかない。

 

【幼児期】

それなりに読書を重ねてきて、自分で小説を選べるようになってくる頃。ネットなどでオススメの小説を探すたびにやたらと「東野圭吾」の名前を見かけることに気付きだす。東野圭吾の評価は「かなり凄い人」「面白い小説をたくさん出している人」というものである。

 

【学童期】

小説熱が急速に加熱し出す頃。色んなジャンルに手を出し始め、読書の性癖が形成される時期。その過程で東野圭吾作品はほぼ全て読破しており、その実力を「神」と認めている。 周りの人に勧めだすのもこの年頃。

 

【思春期】

自分のツボに入った作家と出会い、信者になり出す頃。自分が好きになったジャンルや作家以外を認めず、ディープさを求める傾向が出てくる。それと相まって非常に排他的な読書家になりがちである。東野圭吾が面白いのは当然のこととして受け入れており、「東野圭吾好き」を公言する人を見ると「まだそんなレベルにいるの?」と見下すようになる。

 

【青年期】

小説界に対して余計な使命感を持ち出す頃。読者や作家はどうあるべきか的な余計な雑念で頭がいっぱいになっており、出版社のゴリ押しや映像化作品を貶すようになる。また読書家として高みに行くことと、背伸びをすることを勘違いしており、みんなが読んでいる東野圭吾のことは「一般大衆が読んでいるのだから、レベルが低いものだ」と決めつけ、全く評価しなくなっている。

 

【成人期】

出版社のゴリ押しや、自分が好きな作家が評価されないことを苦々しく思いつつも、売れることと作品の質には関係がないことを理解しだす頃。つまらない小説に殺意を覚えたりしつつも、それも読書経験だと理解するようになる。東野圭吾のことは、面白いとかつまらないとかいうよりも「いつまで活躍し続けるのだろう」という観察対象としての評価になりだす。

 

【成熟期】

面白い小説もつまらない小説も散々読んできて、小説というものを俯瞰して見られるようになる頃。読むジャンルはどんどん限られてきて、自分の好きなものだけを的確に選べるようになる。年々縮小していく小説界を憂い、東野圭吾に対しては「小説界を支えてくれる感謝すべき存在」と思っている。

 

 

ベストセラー作家に感謝を

勝手なことを書き連ねてきたが、実際の所、私は東野圭吾に非常に感謝している(←謎の上から目線)。彼のような大物がいるからこそ、小説界に多額のお金が流れ込んでくるわけだし、それによって新しい才能が発掘されているのだ。小説界はほとんど東野圭吾と村上春樹と伊坂幸太郎で保っていると言えるだろう。それくらい巨人なのだ。東野圭吾は。

もうすでに東野圭吾作品には興味を持てない私だが、少なくとも彼の活躍だけには感謝の気持ちを抱き続けようと思っている次第である(←なんか偉そう)。

 

最後までお付き合い頂いた皆様方、グラシアス、アミーゴス! 

 

最近読んだナイスな一冊

『ザリガニの鳴くところ』 ディーリア・オーエンズ

アメリカで引くぐらい売れまくっている社会派ミステリーの傑作。2021年度本屋大賞翻訳小説部門第1位にも輝いた作品。うん、納得。確かな知識に裏打ちされた自然描写がとにかく凄い。

また、日本に住んでいる私たちには馴染みのない、ホワイト・トラッシュというアメリカの差別問題を正面から扱ったことも、評価を得た要因かもしれません。