こんにちは。唐瀬校舎の千葉です。
台風は西部を中心に被害が大きかったですね。足立先生も校舎に来る際、道路が渋滞して大変だったと言っていました。今後も校舎の時間割に変更がある場合は、こちらで告知しますので、荒天時はブログを確認するようお願いします。以下、スケジュールです。
あ
10月上旬、早くも2学期中間テストがあります。その後は塾内模試、高校2年生は受験勉強開始の「秋季講座」と続きます。イベントの多い2学期ですが、しっかり予定を確認して備えていきましょう。
科学的思考とは実験や観察によって得られたデータや証拠に基づいて、結論を導く方法です。科学の実験では、仮説を立て、それを検証するプロセスが重視されます。例えば、植物の成長における光の影響を調べる場合、特定の条件下で植物を観察し、その結果を記録します。このデータを使って、どのように植物が成長するのかを理解していくのが科学的思考の基本です。
紫駒
論理的思考は情報や証拠を整理し、矛盾なく結論を導き出す思考法です。例えば、ある問題があった場合、その原因を突き止めるために関連する情報を整理し、論理的に推論を進めることが論理的思考です。この思考法は問題解決や判断に役立ちます。科学的思考は自然現象等の理解を目的とした思考ですが、論理的思考は問題解決や意思決定を目的とした思考となります。この2つの思考は独立しているものではなく、両方をバランスよく利用していくことが重要です。
緑駒
「考える」ためには「知る」ことが大切です。例えば、「長持ちするバッテリーを作るにはどうすればいいか」と言われたとしてどうでしょうか。電池に関する知識が無い状態でいきなり考えろと言われても無理ですね。この問題を考えるためにはまずは、電池に関する知識を身に透けた上で、長持ちしそうな電池の案を出して実験をしていきます。この前提となる知識があることが大切です。なので、何かについて考える時はまず調べることが重要です。しっかりと調べて知識を得ることが思考をするうえで最も大切なことです。
SCIENCE IS ELEGANT
知ることで世界は色づく
文理学院中島校高等部理系担当 伴野
新入塾生募集中

◎定期試験、悔いが残らないようベストで臨め!! 『真剣か否か』自問自答してみよう。
前回、『なぜ勉強するのか?』という問いに対する動画を紹介するという内容で終わっていますので、動画で話された内容を文章化します。見たことのある生徒さんは、再度そこに隠された深い意味を味わいながら、文章を読んでみて下さい。
『余命半年の教師の母親が息子に言った。「深すぎる」勉強の本当の意味。
なんで勉強なんかしなきゃいけないの?という質問に、教師の母が机にコップを置いてこう答えた。
「算数」を学べばこの中に200mlの水があると数字で“見える”ようになり
「理科」を学べばこの水は水素と酸素からできている事が知れる。
「社会」を学べばこの水がどこからきたのか?がわかり、そして、世界にはこの綺麗な水を飲む事ができない人たちがいることを知れる。
「美術」を学べばこの水の反射を綺麗に描く事ができるようになるし、
「音楽」を学べば同じコップでも水の量で音を変えれる事にも気付ける。
「技術」を学べばこのコップがどんな素材で、何故漏れないのかがわかり、人の“創造”の凄さを知ることができ、
「保健体育」を学べばこの水が体にどれだけ大切なのか、健康を支える命の正体が見えてくる。
「道徳」を学べばこの水を誰かと分かち合うことの大切さを学べて、思いやりの心が育ち、
「国語」を学べば今私が話した“全ての意味”を“正しく”理解できるようになり、
「英語」を学べばこの話を世界中の人と分かち合えるようになり、
「哲学」を学べばこの話に何の意味があるのか考えれるようになる。
でももし何も学ばなかったらこのコップの中にあるのは「ただの水」で終わる。
だから勉強するの。
この世界をただ見ているだけの人生で終わらせない為にね。』
如何でしょうか。中々いい話だとニャンコ先生は気に入っています。特に道徳、哲学にまで話が及びその勉強する意義が的確明瞭に述べられている点は流石だなと感じます。テストでいい点を取る為の勉強も勿論重要でしょうが、人類が長い歴史の中で『勉強=学ぶ』ことの重要性を認識し、現在にまで受け継がれてきているという事実を、広い視点から考え直してもらえたら、嬉しいニャンコ先生です。
ニャンコ先生からのお知らせだニャン(=^・^=)
◎定期試験対策実施中!! 時間割を確認して必ず出席しよう。
◎10月4日(土)第2回英語検定一次試験。
◎10月11日(土)SDGs清掃活動。
13:00~14:00

中島校舎 高等部 土曜の人 加藤です。
2学期に入ってしばらく経ちました。まだまだ夏の気候ではありますが、まだまだ夏休み気分な人は流石にいなくなってきましたね。山梨では週明けから定期試験の高校もあり、ここから勝負の期間です。また、3年生の模試がある高校もあり、全学年気が抜けない期間となります。
「入試に出やすい単元ってどこですか?」
毎年結構聞かれます。今年も聞かれるようになってきました。
正直ココだけが突出して出やすい、という単元は僕の担当する物理・化学ではありません。特定の大学における入試では、ある程度の傾向はあるかもしれませんがそれも「傾向」なだけで、たぶん10年単位で見てみたらどこの単元も満遍なく出題されています。
物理では最後に扱う”原子”の単元だけが、大学によって出る、出ないが唯一分かれていた単元ですが、共通テストで1問は必ず扱われていることを考えるとスルーする意味はあまりない部分です。(実は聞かれることが結構決まっているのでむしろ積極的にやって欲しいです)
だからこそ「どれも出やすい」し、それは全教科共通です。残念ながら。コレさえやっておけば○○点取れますよ、って話も「問題集の数ページ」ではなく「問題集まるごと1冊」単位です。膨大なんです。悩める受験生に救いの手を差し伸べたいのはやまやまなのですが、こればっかりは偽れない。
だからこそ、苦手潰しが得点に直結します。100%どんな問題が出ても答えられる単元が1つあるよりも、理解度70%程度の単元が3つある方が得点は上回る。正答率90%を100%にすることよりも、正答率0%を50%にすることの方が負担は少ない。全体で見たときの自分の弱点をまず考えて、そこを鍛えていこう。
上に書いた模試。これが残り短い期間の一つの指標です。どの教科も間違えた問題の追及をしましょう。なぜ間違えたか、だけでなくそもそも単元の理解が足りていないか、の見極めもして、その足りない部分を補う勉強をすること。弱点を鍛える勉強をすること。何度も書いて来ましたが、改めてコスパ・タイパの追及よりもまずは量です。ちゃんと自分の頭で悩んで、手を動かして、自分で間違えながら身に付ける。遠回りに見える勉強を今こそ追及してください。3カ月後にはできないことです。でも3カ月後に明確に差として現れる部分です。
共通テストまで約130日。もうすぐ二桁になりますね。焦る時期だからこそ、今できる事を確実にこなしていきましょう。地道に地道に。焦る前にまだやることがある。
こんにちは、文理学院富士宮駅南校高等部です。
高校3年生の皆さん
大学入試共通テストまであと132日となりました。
2学期が始まりました。この時期の高校3年生のイベントと言えば…
模試・模試・模試…
1学期は月に1回ペースで模試がありましたが、ここからの9月10月は毎週模試があるなんてことも…そんな中重要なことは「ゴールを見据える」ことです。短いスパンで模試があることで、模試の見直しをしていたら次の模試がなんてこともあります。自分の勉強が思うように進まなくなってしまうことがあるかもしれません。だからこそ、「ゴールを見据える」ことに重点を置きましょう。共通テストのどの教科で点数を取るのか、2次試験が重要なのか。それによって時間をかけるべきところは変わってきます。
共通テストが重要であれば、共通テスト模試の結果や見直しに重点を置いていきましょう。2次試験が重要であれば、大学ごとの過去問をやることに重点を置きましょう。入試までの期間を逆算してしっかりと軸をブラさないようにしていくことが重要です。
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国語界の「THE KING」あらかわです。この校舎ブログでは私が面白いと思った小説や作家をいろいろと紹介し、能書きを垂れたいと思います。
今回はちょっと変化球。私は常日頃から本を読んでいるのだが、いわゆるビジネス書の類はほぼ読まないのですが、その理由を綴ってみたいと思います。
人には「生存バイアス」と呼ばれる認知の歪みがあって、競争から生き残った人ほど自分の行動を正当化してしまう傾向があるそうです。努力が成功をもたらしたり、困難を乗り越える原動力になることは否定しませんが、それ以外の要素、たとえば身近な人の支えとか、自分自身の生まれ持った体力とか、親の財力とか、知力とか・・・
しかし、自身からしたら「努力した」という印象や「継続した」みたいな印象の方が強いために、そればかりが重要だと考えてしまう。だから考え方もそちらに偏りがちになります。これは誰が悪いというものではなくて、人間に備わった能力の特性によるものです(親の育て方がよかったとリアルタイムで実感できる人は少ないし、そういうことはあとから冷静になって認知するものです)。
で、こういったビジネス書を読むのもいいし、成功体験を疑似体験するのもいいのですが、あまりにも真に受けるというか「自分もできるかも」と思ってしまうのは甚だ疑問です。
生存バイアスが作用しているように、ビジネス書を書いている人たちはそもそも一握りの「生き残っている側」です。そうでない側の方が圧倒的に数は多いはずなのにね。もちろん努力や継続は人間を向上させるためには、ある側面では必須の能力です。これは間違いない。だから成功者が語る努力論にも一理あると思います。
でもね、そもそも成功することと幸福になることは違うんですよね。お金がないと生活が成り立たないのである程度は必要です。しかし生活が安定するレベルを超えるお金は付加価値でしかなく、本質ではありません。むしろそれを本質としてしまうことは不幸につながると思います。
よく言う「足るを知る」は至言です。日本ではあまりにも努力や継続が礼賛されすぎていて、責任感が人を動かす分にはいいのですが、欲望や見栄、義務感で努力をする、し過ぎるのはいかがなものかと。それで身体を壊してしまっては元も子もない。苦労話に感化されるのはいいのですが、彼らの苦労話には「壊れない程度に」という前提があることを忘れてはいけません。
一番難しいのは「程度」を決めること。ノウハウやコツは人から教えてもらえるけど、人それぞれでしかない「程度」は驚くほど誰も教えてくれません。それぐらい取り扱いが難しいものなのでしょう。しかし、実はこの「程度」こそが、人生の生き方や身の振り方に直結するわけで、それに伴ってあらゆる場面での決断にも影響してくると思うのです。
「自分にはこの程度の体力しかないから、ここは断っておこう」とか、「友人は大切だけど、自分の時間が奪われすぎちゃうから、悩みを聞いたり相談にのるのはこの程度にしておこう」とか。こういった判断は非常に重要なのですが、誰も教えてくれません。バランス感覚とも言うのでしょうか。
結局何が言いたいかっていうと、他人から得られる情報なんてそれほど重要ではなくて、それよりも自分自身の程度を知ることの方がよほど重要だし、自分を知っていた方が有意義だということです。
この世の中にはあまりにも情報が溢れすぎていて、間違い探しが得意過ぎる我々の脳は、すぐさま誰かと比較したがってしまいます。しかしそればかりではすぐに疲弊してしまうし、自分の「足りなさ」ばかりに目が行ってしまうし、自分自身が次第に見えなくなってしまいます。周りばかり見ていると、周りのことは詳しくなるかもしれませんが、その分自分のことは知らないままになってしまいます。
結論:あまり真に受けない方がよい。
内容のわりに無駄な余白が多すぎる!