【吉原校高等部】読書のススメ(その12)

国語界の「THE KING」あらかわです。この校舎ブログでは私が面白いと思った小説や作家をいろいろと紹介し、能書きを垂れたいと思います。

 

今回はちょっと変化球。私は常日頃から本を読んでいるのだが、いわゆるビジネス書の類はほぼ読まないのですが、その理由を綴ってみたいと思います。

 

人には「生存バイアス」と呼ばれる認知の歪みがあって、競争から生き残った人ほど自分の行動を正当化してしまう傾向があるそうです。努力が成功をもたらしたり、困難を乗り越える原動力になることは否定しませんが、それ以外の要素、たとえば身近な人の支えとか、自分自身の生まれ持った体力とか、親の財力とか、知力とか・・・

 

しかし、自身からしたら「努力した」という印象や「継続した」みたいな印象の方が強いために、そればかりが重要だと考えてしまう。だから考え方もそちらに偏りがちになります。これは誰が悪いというものではなくて、人間に備わった能力の特性によるものです(親の育て方がよかったとリアルタイムで実感できる人は少ないし、そういうことはあとから冷静になって認知するものです)。

 

で、こういったビジネス書を読むのもいいし、成功体験を疑似体験するのもいいのですが、あまりにも真に受けるというか「自分もできるかも」と思ってしまうのは甚だ疑問です。

 

生存バイアスが作用しているように、ビジネス書を書いている人たちはそもそも一握りの「生き残っている側」です。そうでない側の方が圧倒的に数は多いはずなのにね。もちろん努力や継続は人間を向上させるためには、ある側面では必須の能力です。これは間違いない。だから成功者が語る努力論にも一理あると思います。

でもね、そもそも成功することと幸福になることは違うんですよね。お金がないと生活が成り立たないのである程度は必要です。しかし生活が安定するレベルを超えるお金は付加価値でしかなく、本質ではありません。むしろそれを本質としてしまうことは不幸につながると思います。

 

よく言う「足るを知る」は至言です。日本ではあまりにも努力や継続が礼賛されすぎていて、責任感が人を動かす分にはいいのですが、欲望や見栄、義務感で努力をする、し過ぎるのはいかがなものかと。それで身体を壊してしまっては元も子もない。苦労話に感化されるのはいいのですが、彼らの苦労話には「壊れない程度に」という前提があることを忘れてはいけません。

 

一番難しいのは「程度」を決めること。ノウハウやコツは人から教えてもらえるけど、人それぞれでしかない「程度」は驚くほど誰も教えてくれません。それぐらい取り扱いが難しいものなのでしょう。しかし、実はこの「程度」こそが、人生の生き方や身の振り方に直結するわけで、それに伴ってあらゆる場面での決断にも影響してくると思うのです。

 

「自分にはこの程度の体力しかないから、ここは断っておこう」とか、「友人は大切だけど、自分の時間が奪われすぎちゃうから、悩みを聞いたり相談にのるのはこの程度にしておこう」とか。こういった判断は非常に重要なのですが、誰も教えてくれません。バランス感覚とも言うのでしょうか。

 

 

結局何が言いたいかっていうと、他人から得られる情報なんてそれほど重要ではなくて、それよりも自分自身の程度を知ることの方がよほど重要だし、自分を知っていた方が有意義だということです。

 

この世の中にはあまりにも情報が溢れすぎていて、間違い探しが得意過ぎる我々の脳は、すぐさま誰かと比較したがってしまいます。しかしそればかりではすぐに疲弊してしまうし、自分の「足りなさ」ばかりに目が行ってしまうし、自分自身が次第に見えなくなってしまいます。周りばかり見ていると、周りのことは詳しくなるかもしれませんが、その分自分のことは知らないままになってしまいます。

 

 

結論:あまり真に受けない方がよい。

内容のわりに無駄な余白が多すぎる!