【吉原校高等部】読書のススメ(その10)

国語界の「THE KING」あらかわです。この校舎ブログでは私が面白いと思った小説や作家をいろいろと紹介し、能書きを垂れたいと思います。


『蜜蜂と遠雷』

恩田陸による傑作音楽小説であり、第156回直木賞に第14回本屋大賞受賞と、文壇界にも一般読者にも広く認められた、完全無欠に近い作品である。
正直、私は第1回本屋大賞受賞作の『夜のピクニック』はあまり評価していないし、独特のSFチックな「恩田ワールド」は少々苦手なのだが、この作品は私が10万50年近く培ってきた読書人生の中でもTOP20には入る名作である。映画は○○だったケドな。そもそも主人公が・・・。松岡茉優が可愛かったことだけが救い。

今回は、
・『蜜蜂と遠雷』はなぜこんなにも面白いのか?
・「文章から音楽が聞こえてくる」の正体とは?

この非常に重要な2点について、前後半に分けて限界まで語り尽くしてみたい。

『蜜蜂と遠雷』はなぜ面白いのか?
『蜜蜂と遠雷』はバトルものである。『蜜蜂と遠雷』がピアノコンクールを舞台にしており、各演奏者の勝ち抜き戦が繰り広げられるから、という意味ではない。
『蜜蜂と遠雷』にはもっと重要な要素がある。それは「強さの見せ方」にある。「強さの見せ方」の巧みさ、多彩さによって『蜜蜂と遠雷』はバトル的な面白さを生み出し、そして多くの人を惹きつけたのだ。

そもそも文字は音楽ではない。しかし音楽小説において、しかもコンクールとなれば、どうにかして各コンテスタントの強さや優劣を表現しなければならない。

ではどうやって、小説という文字媒体で音楽の優劣や、コンテスタントの強さを表現するか?(読者に納得させるか)それには主に4つの方法がある。

①テクニックを描写
これは4つの中でも一番分かりやすい。ピアノを弾く上でのテクニックについて、他の競技者よりも上回る表現をすれば良い。

②イメージを描写
視覚や感情を操るのは小説の超得意分野だ。なので、これを音楽の代わりとする。音楽が鳴ったときのイメージ、聞いている人の心象風景をビジュアルに描写する。コンテスタントの演奏によって喚起されるイメージが壮大であればあるほど、強さの表現として成り立つだろう。

③リアクションを描写
これもかなりシンプルだが、それゆえに強烈。驚く、鳥肌が立つ、涙が流れる、震える・・・などの身体的な反応を見せることで演奏の強さを表現する方法だ。

④評価を描写
最後はこれ。作品内に存在する(『美味しんぼ』でいう海原雄山みたいな)「分かっている人」に評価させる方法である。「こんな才能は見たことがない」とか、某プロレス解説者のように「スゲー、人間じゃねー」とか、「○○くんさぁ、コレ実は××の方がイニシアチヴ握ってるんだよねー」とか、「エッヴリスィィィン!」みたいなことを言わせることで、比較や優劣をつけることができる。

番外編
あと、正確には強さの表現にはならないのだが、あえて「表現しない」というものもある。例えば、演奏を開始しようとした瞬間に別のシーンに移るなどして、肝心なところを見せない。で、後日談とかで「あれは伝説の演奏だった」みたいに言わせる。これによって、読者の中で勝手に「伝説の演奏」が生み出されるわけだ。書いていないけど、生み出せるというとっても省エネなテクニックだが、簡単に使えるものでもない。それに何度も使えるわけでもないから難しいところだろう。

以上の方法を効果的に織り交ぜることで、恩田陸はピアノコンクールでの競い合いを、バトルものの構造に仕立て上げ、面白さを演出している。

あと再読して気づいたのだが、さらに凄いのが『蜜蜂と遠雷』では一貫して「否定がない」のである。コンクールで優劣が付けられるストーリー展開なのに、登場人物たちへのマイナスな描写が一切なく、肯定同士の対決になっているのだ。多分だけど、これは恩田陸が実際にピアノコンクールを取材して、各コンテスタントの様子を見たときに感じた敬意の表れなのだと思う。
私も幼少のみぎり、ピアノを少々嗜んでいた経験があるので分かるのだが、コンテストに出るような人間というのはマジで化け物だ。音楽に対して真摯だし、テクニックは神の領域。減点方式で採点されるようなレベルは遥かに超えていて、「どちらがより高みを見せたか」という世界の住人なのである。
そんな天上人である彼らの戦いを描写するに、あからさまな意地悪キャラが出てきて波乱を巻き起こすような要素はそぐわない。もっと崇高で、純粋な技量の戦いが相応しい。だからこその「否定ゼロ」なのである。「高みを求める者の頂上決戦」だけの表現で押し切ったという偉業に素直に拍手を送りたい。

私が『蜜蜂と遠雷』を読み終えたとき、めちゃくちゃ面白かったし、壮大な物語が終わった満足感と喪失感でいっぱいだった。と同時に「なぜこの作品がこんなにも広く愛されているのか?」を言語化したいと思った。読み終えると今度は作品を深堀りしたくなる。食べきったら皿まで舐める。それがマニアってもんだ。だから本当の食通は食材とか食器の御託はいいから、皿を舐めなさい。シェフを呼んで褒める時間があったら舐めろ、皿を!

ピアノコンクールという特性上、相手を傷つけ合うような戦いはそこには存在しない。お互いの「最高」を披露し合う。ここが『蜜蜂と遠雷』を読んでいるときに生まれる幸福感に大きく寄与していると思う。物語の中で誰かが大きく挫折したり、理不尽に傷つけられたり、実力が足りないために虐げられたりといった、ある種の「心配」をする必要がない。物語の温かみや愛情が感じられるから、信頼を持って読み進められるのだ。

続きは「後半」で。