羽鳥校2 帰ってきたぼんくら道 Part59「ちょっと西の方へ」

こんにちは!
羽鳥校の作原(社会科)です。
夏がにわかに戻ってきたような、額に汗が浮かぶ気温の静岡市です。
まだまだ暑いですね。

先週末、一階の掲示を刷新しました!
定期テスト結果も、判明次第で掲示しています。
満点は、オレンジの紙にしました!
すごいぞ~。
次回のテストも、がんばりましょうね!

京都へ

ところで先日、急に思い立って
マイカーで京都へ行ってきました。

黒谷の金戒光明寺(東山の付近です)へまず行きました。
幕末期、幕府より「京都守護職」に任命された会津藩が本陣としたお寺です。
会津からの京都ですので、
ここへ行くことは最初に決めておりました。

応仁の乱ののち、大部分が焼け落ちていたものを
徳川家康が多額の寄付をして、再建させました。
京都有事のとき、この境内をもって幕府軍の出城にすることを
家康は当初から考えていたそうです。

寺域は広く、宿坊の数も多く、駐屯地としては最適な場所。
また見晴らしもよく、山上に登ると京都市中を一望できました。
二百五十年後、京都が再び戦場になることを、家康は予見していたんですね。
そういう人が時代を作るのだなあと改めて感じつつ、
会津藩士の墓所に手を合わせてきました。

二条城にも訪れました。
こんなに絢爛と華美な城を見るのは初めてです。
江戸幕府創設当時、すでに伝統文化の中心地だった京都で
徳川家の威信を知らしめるには、「武」ではなく
「美」で攻める! しかない!
そんな思いで、築城されたのかもしれませんね。

1867年、徳川慶喜はこの城郭御殿の中で「大政奉還」を行いました。
その様子は絵に描かれ、現代に伝わっておりますが、
あれは当時の絵師が想像で描いた「イメージ画像」なのだそうですよ。
それでも、あの絵があまりにも有名なので、
城の大広間では、等身大の人形を使って再現されたものを見ることができます。
一見の価値ありですよ!

さて、こちらは京都御所です。
1864年に幕府軍と長州軍が激突した「禁門の変」がここで起きました。
蛤御門を守る会津軍と長州軍の交戦が始まりとなったので、
「蛤御門の変」とも呼ばれています。

こちらが、その門です。

近づくと、おびただしい数の弾痕が刻まれていました。
門の傷あとは修復せず、今でもそのままに使われています。
「歴史」ですね。

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