羽鳥校2 ぼんくら道 Part164「長野日記➁松本城にいどむ」

こんにちは!
羽鳥校の作原(社会・国語)です。

前回、長野へ行った記事を書きました。

今回、その続きです。
松本城へ行ってきました。

こちらは、現存十二天守のひとつで、
姫路城・松江城・彦根城・犬山城
とともに、国宝指定されています。

自分はこのうち、
松江城、彦根城、犬山城
は行ったことがあり、残るは松本城、姫路城。
「姫路城はラストにしたい!」
という思いがあり、
「松本に行くまで、姫路に行けぬ……」
と、固く決心していたところのものであります(?)。

もちろん、今回は松本城をゆっくり見学いたしました。

武田信玄などの時代には、「深志城」と呼ばれておりました。
その名前が変わり、現在の天守閣が作られたのは、石川数正という武将の時代です。

数正は、もと徳川家康の家臣です。
家康がまだ若武者だったころから仕えていたいわゆる旧臣だったのですが、
あるとき急に、徳川家を出て、豊臣秀吉のもとに行ってしまった人です。

堅実な性格で知られていた数正。
なぜそういう「うらぎり」をしたのか、よくわからないそうです。
家康もショックだったでしょうね。
(大河ドラマでは、松重豊さんが好演されておりましたね〙

そういうわけで、
松本城が本格的に整備されたのは家康・秀吉の時代です。
戦国時代の最末期にあたるころですね。

もうすでに、戦の常識は鉄砲中心に変わっていましたので、
銃撃戦を前提に作られた、かなり実戦向きな構造になっていました。

お城の中は、火縄銃だらけ。

火縄銃にもいろんな種類があるんですね。
薩摩筒、仙台筒など、産地によって形がちがったり、特徴があるんですよ。
非常に大きなサイズのものもありますね。
抱え大筒、初めて見たかもしれません。

気合の入ったジオラマもありました~。(すごーー)

まだまだ、見れてないところが多いので、
ぜひまた訪れたいと思いました。

ではでは。今日はここまで。

作原でした。

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