【高等部・都留校】毎年夏期講習が来ると考えること

今日は日曜日ですが、夏期講習A,B日程の最終日です。いつも通りランニングをしてから都留へ向かいました。

ランニングコース沿いの民家に咲いているお花。お花ですから語りかけてはこないけどこちらを見守ってくれている気がします。走っていると特にそんな気持ちになります。

お昼時間帯の出勤はもうしばらく続きますが、夏期講習の季節になると毎年必ず思い出す文理らしいことがあります。

私は平成15年から川島田校舎で1年間の勤務を経て御殿場校舎に移り、そこで約18年間勤務してきました。特に平成17年〜20年頃は生徒数の増加が凄まじく、小中学生で約200名、高校生も約160名が御殿場校舎に在籍していました。

その頃の私は小中学生も教えるけど高校生も教えるという不思議なスタンスでした。

そして夏期講習時は本当に大変だった記憶があります。小中学生が部活や習い事に行く午前中に合わせて、朝6時30分に校舎を゙開放して夏休みの宿題を゙生徒に取り組ませていました。

朝9時前に生徒が帰り、一段落つくと次は小学生の夏期講習が始まります。午後は中3生、夜は中1生と中2生、高校生が夏期講習にやって来ます。掃除をして校舎を゙出るのが夜12時前後、そして6時間後には再びこの校舎に来なければなりません。

このサイクルをお盆の前まで継続しました。私の他に今春退職された杉本先生、そしてもう一人の先生と協力して御殿場校舎と川島田校舎の朝の鍵開けからやり抜きました。

確かに当時の文理は効率性に欠けるところもあったし泥臭すぎた面もかなりありましたが、その反面、誰よりも生徒を把握していました。小学生、中学生、高校生、知らない生徒は一人もいませんでした。もちろん話しかけたことがない生徒もいませんでした。

それなら昔の文理に戻ろうという気持ちは全くありません。業務の分担により、合理性、効率性が上がり、昔の文理を知らない先生や生徒は文理はとてもスマートで現代的な塾だというイメージを゙持っている人も多いのではないかと思います。それで良いのだと思います。

しかし文理の存在の原点は効率性、合理性なんかではなく生徒にとことん最後まで付き合ってあげようという教師の泥臭さだったのではないかと毎年夏期講習が来るたびに考えます。