羽鳥校2 ぼんくら道 Part170「最後の反乱」

こんにちは!
羽鳥校の作原(社会・国語)です。

お盆休みもおわり、今日から校舎再開。

昼間は授業のない1年生・2年生も、自習に来ています。
自習室がいっぱいになったので、空き教室を開放しました。

もくもく勉強している姿を見守りつつ、
生徒の質問に答えつつ、
勉強すると良い箇所など伝えつつ、
ブログを書いております。

お盆休みは東京に行っておりました。
今年は終戦80年。
近代美術館で「戦争画」の展示を見学したのち
皇居周辺を散歩しました。
途中……。
国立公文書館でも終戦の特集をしているのを見かけました。
暑かったこともあり、入ってみました。

何か文書があるなあと思って見てみると……
「えっ!」

「終戦の詔書」でした。
思いがけず、本物を見てしまい
びっくりしました……。

実際目で見ると、感動が大きいですね。
この「紙」で、戦争が終わったのか……
と思うと、
なんとも言えない感慨がありました。
(となりに、戦争を始めたときの「開戦の詔書」もありました)

この詔書原稿を天皇が読み上げ、
録音した声をラジオで放送したのが「玉音放送」です。

ところで……。
この「玉音放送」を阻止しようとする動きが実はありました。

近代美術館工芸館として長らく使用されてきた建物。
かつては天皇を守る「近衛師団」の司令部でした。

八月十四日の夜おそく……。
陸軍省の参謀数人が部隊を訪れ、
「皇居を占拠せよ」
「玉音盤を確保せよ」
という「命令」(?)を出します。

近衛師団の連隊長・芳賀大佐は、「おかしい」と思い、
司令部に連絡して確かめようとしましたが、
返事がなく、確認できませんでした。

実はこの参謀たちは、事前に司令部を訪れており
師団長は彼らの手で殺害されていたのでした。
参謀たちの持ってきた「命令」は偽物だったのです。

終戦阻止を目論む軍人による、最後の反乱でした。

千数百名の近衛師団の兵が、皇居と東京放送局を占領しました。
幸いなことに、玉音盤は無事に隠され、
八月十五日の正午までには、「偽命令」の正体もばれ、
部隊は引き上げていきました。

こんなことって、教科書には載ってませんよね。
教科書に書かれている「歴史」は、最低限の概要です。
歴史を学ぶとき大切なのは、その概要の中から、
「どうしてこうなったんだろう?」
「当時の人はこのとき何を思ったのだろうか?」
と、疑問をもってみることです。

「物静かだけど、話してみると楽しい友だち」のように、
興味をもって歴史を探れば、
「へえ、そうなんだ!」
「そんなことがあったんだ!」
という驚き・感動・楽しさがきっとありますよ。

私も、まだまだ勉強途中。
もっと歴史の楽しさを見つけたいと思っています。
歴史で疑問を感じることがあれば、ぜひ教えてください。
一緒に考えましょう!

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よろしくお願いいたします。

ではでは、今日はここまで。

作原