こんにちは、中島校の小倉です。
本日の朝日新聞に、兵庫県の高校生が書いた「言葉吐き捨てる前に立ち止まって」という文章が掲載されていました。
SNSを開けば、「死ね」「消えろ」といった激しい言葉が流れてくる。
それは画面の中だけの話ではありません。教室や街中でも、ちょっとした苛立ちや、その場の「ノリ」の延長で、そうした言葉が軽く使われている。
その高校生は、そうした光景に「恐ろしさ」を感じると書いていました。
そして、最後にこう訴えています。
「言葉を発する瞬間にほんの少し立ち止まってほしい。」
私は、この「ほんの少し」という言葉が心に残りました。
人は、言葉を発するとき、思っている以上に速く反応します。
腹が立ったから言う。
おもしろいから言う。
みんなが笑っているから言う。
その場の空気に合わせて言う。
言葉が口から出るまでには、ほんの一瞬しかありません。
けれど、その一瞬を少しだけ長くすることができれば、言葉は変わるのかもしれません。
「これを言ったら、相手はどう思うだろう。」
「今、自分は本当にそう思っているのだろうか。」
「言わなくてもいいことなのではないか。」
そんなことを考える時間です。
昔から、「言葉には魂が宿る」と言います。
言葉は、単なる音の並びではないのでしょう。
「ありがとう」と言われれば、心が温かくなる。
「大丈夫」と言われれば、少しだけ前を向ける。
反対に、何気なく投げかけられた一言が、いつまでも心に残ることもあります。
同じ言葉でも、誰が、どんな気持ちで、どんな場面で発したのかによって、その言葉の重さは変わります。
だから私は、言葉には、その人の心が宿るのだと思っています。
言葉を雑に扱うということは、もしかすると、自分の心まで雑に扱ってしまうことなのかもしれません。
そして、この「立ち止まる」という行為は、言葉遣いだけの問題ではないと思っています。
勉強にも、よく似たところがあります。
問題を読んだ瞬間に、「これだ」と答えを書いてしまう。
友達の答えを見て、「自分もそれでいい」と思ってしまう。
先生の説明を聞いて、「分かった」と思ったところで考えるのをやめてしまう。
こういうときにも、本当は「ほんの少し立ち止まる」ことが大切です。
「本当にそうかな。」
「問題文には何と書いてあるのかな。」
「なぜ、この答えになるのかな。」
その一呼吸が、「考える」ということにつながります。
言葉も、勉強も、すぐに反応することだけが大切なのではありません。
すぐに答えを出さず、ほんの少し立ち止まる。
その時間の中に、自分で考える余白が生まれます。
子どもたちには、知識をたくさん身につけてほしいと思っています。
しかし、それと同じくらい、自分の頭で考える人になってほしいとも思っています。
そして、「考える」というのは、何か難しいことを長い時間考え続けることだけではないのかもしれません。
言葉を口にする前に、ほんの一瞬立ち止まる。
答えを書く前に、もう一度問題を見る。
誰かの意見を聞いたときに、すぐに賛成も反対もせず、一度自分の中に置いてみる。
そんな小さな「間」の積み重ねが、人の思考をつくっていくのだと思います。
言葉には魂が宿る。
だからこそ、私たちは言葉を選ぶのだと思います。
言葉は、口から出た瞬間に消えてしまうものではありません。
誰かの心に届き、その人の中に残っていくものです。
何気なく吐き出した一言が、誰かを傷つけることもある。
反対に、何気なくかけた一言が、誰かを救うこともある。
だから、言葉を発する前に、ほんの少しだけ立ち止まってみる。
その一瞬は、言葉を抑えるためだけの時間ではありません。
自分の言葉に、どんな魂を宿すのかを考える時間なのだと思います。
子どもたちにも、そんな言葉を使える人になってほしい。
そして私自身も、子どもたちにかける言葉を大切にできる教師でありたいと思います。