【12】信条

GWが明け、これから日に日に「日常」を取り戻すであろう日本。「非日常を満喫」するのも大切ですが「現実世界で汗をかいてがんばる」ことのほうがより大切です。私も含め、みんながんばりましょう!!

さて、タイトル「信条」ですが、「堅く信じて守る事柄」という意味があります。みなさんには「信条」はありますか?私は振り返ると「信条らしきもの」があります。それは「誰が言ったか、ではなく何を言ったかで判断する」ということです。よく、立場の上の人が言うことに迷いなく従う人や、自分の好きな人、尊敬する人の言うことは基本的に正しいと思っている人を見かけますが、そんな彼・彼女を見ていると「可哀そう」だと思うことがあります。柵(しがらみ)や組織の論理で「賛成しなくてはならない……」みたいな感じってありますよね。私は子供の頃からそれができなかったのです。「何を言ったか、言っていることがまともであるか」が良し悪しや賛否の基準になっているので、相手の役職や年齢、好きか嫌いかはまったく関係ありません。それ故、よく上司と喧嘩したり、言うことを聞かなかったりは、ある時期(組織で)日常茶飯事でした。間違って捉えてほしくないのは「単に反骨精神の塊」ではなく、あくまでも「相手の発する言葉が、まともであるか?」で判断してきました。「まとも」の基準は、社会通念上おかしくなかったり、みんなが不幸せにならないと判断できたり、理不尽な指示や要求でなかったり・・・やはり考えるのは「みんなにとって……」ということが根底にあります。みなさんには「信条」はありますか?

さぁ、今週は会議に出張に、テスト対策に忙しい1週間です。楽しんで、喜んでお仕事をしていきたいと思います。「久しぶりだね日常生活!」と帰ってきた日常を謳歌します。

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先月30日に茨城県で中3女子が自殺してしまったそうです。教諭の暴言が主な原因だそうです。とても悲しいことです。昔、ある社員が生徒に向かって「死ね」と言っていたことがあり、私は激怒して注意したことがあります。本人は軽い気持ちで言っていたのかもしれませんが、それはどうでもいいことです。通常の生活で、また、勉強を教え教わる師弟関係の間で「死ね」とは、到底使う言葉ではありません。不必要で不適切な言葉を使う人間の「浅はかさと甘え」がそこにはあります。私は自分の周囲に「言葉」の大切さを伝えています。それでも理解できない人間や、悪い癖が抜けない人間がいるかもしれませんが、やはり「言葉」の大切さを伝え続けなくてはいけないと思っています。「言葉は相手を生かす道具にもなり、殺す兵器にもなる」ということを、大人が、特に我々のように教育に携わる人間たちが自覚しなければなりません。同時に思うことは「死んではいけない」ということです。その意味は、①強く生きてほしい、②そこでなくても居場所は他にもある、③人間そんなに酷いやつばかりではない……などの意味を込めてですが、本当に自分を大切に生きてほしいと思うわけです。


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