【37】賞与

6/17(月)は都留にて会議→豊田にて次のチラシづくり。昨日はお休みでしたが、午前中は静岡駅構内で入社面接を2時間行いました。社員の後輩の方でわざわざ東京からお越しいただきました。好青年で年齢からしても今後鍛えていったら面白いのではないかと感じました。午後は馴染みのお店でランチをし、日本平をドライブしがてら喫茶店や本屋などをまわり……いい休日となりました。今週は入社面接(3件入っています)、チラシ作り、会議(会議は夏の賞与査定がメインです)、そして授業と多忙な1週間ですが、どれもしっかりと努めていきたいと思います。


さて、ちょっと「報酬」の話を。基本的にサラリーマンの「報酬」は「月給+賞与」で決まります。弊社の場合はそれに個人や集団に対して「報奨金」が出るケースがあるのですが、基本は「月給+賞与」です。私の考えはこんな感じです。『売上・利益貢献は賞与で、数年間の継続的な成果(数字)・組織人としての動き(育成・ルール順守)・数字以外のこと(知識や技術・信頼・人間性などなど)は役職・月給で評価を』と……大雑把にはこんな指針で直属の部下の「報酬」を考えてきました。

私個人のことを書くと、転職した時には「年収が半分」になりました。当時は困ったなぁということはなく①好きな仕事に続けて従事できるからありがたい、②自分の生活の仕方やお金の使い方を変えればよい……と考えていました。文理学院に入社してあれから16年だそうです。(調べてもらったら平成15年9月8日に入社しているそうです。文理入社前の3ヶ月は「旅行」をしたり、ハローワークに通ったり…当時35歳でしたか)この16年は教師・校舎長・ブロック長・執行役員・取締役と「常にいくつのかの役職を跨いだ仕事」をしてきましたが、一番自慢できることは「上司や同僚に対して1度も給与・賞与に関する不満や意見を言ったことがない」ということです。(社長になる際には「自由契約選手」(笑)として初めて意見を本社側に伝えましたが)なぜ1度も給与や賞与に関して不満や意見を言わなかったのか。それは「評価は自分がするものではなく、他人がするものだ」と心得ていたからに他なりません。いまでも生徒・社員に話すことがあります。「評価は他人がするもの。自分で自分の評価は本来するものではない。他人から評価をもらえるような働き(勉強)をしなさい」と。先日のブログにも書きましたが、あとは「男は黙ってサッポロビール」的な仕事をすればよいのです。余計なことは自身の品格を下げるだけ。「いい仕事を黙々とやり通す」という姿勢でいれば、必ず見てくれている人はいます。振り返っても私の場合はここに書いてある通りでした。

話を元に戻します。「月給を上げていくための早道は役職を上げること」です。では、役職が上がる人の条件は??必ずしもそうでないかもしれませんが、①会社の理念や規則に沿った仕事をすることができる(一過性ではなく)、②成果も上げ、周囲からも信頼されている……といったことが最低条件だと感じます。例えば①に書いたことができていない人に会社として多くの部下を預けることは決してありません。なぜなら、そのような上司の束ねる組織は、そのような人材が育ってしまう場所になる可能性が高いからです。少なくとも弊社の場合、「営業数字は評価軸の1つであり、それがそのまま役職に直結するものではない」ということです。「名選手、名監督にあらず」という言葉もあるように。そう書きながらもこの夏の賞与は「がんばった人にはこれまで以上に賞与で報いたい!」と個人的に思っています。賞与査定は「信賞必罰の精神」をもって臨みたいと思います。

ちなみに、弊社はゴマを擂っても、上司と仲がよくても役職も賞与も給与も上がりません。「仕事そのもの、成果そして人間性を客観的にみて判断する」といった感じが適当かもしれません。そのことは「社是」が物語っています。毎日「社是」を声に出して読んだり、文面で確認したり……自分自身の中に磨り込んで、そこに書かれているような人材になろう、あろうと努めることが大切です。そして評価をし、給与や賞与を出す側の私たちの責任として「ポスト(役職)を増やすためにも組織を拡大する」ことが求められていると思います。今日も豊田への帰り道、物件を1つまわります。

追伸:ボーナスは私には出ませんので、年2回のドキドキワクワクがないのはちょっと寂しい感じがします。また、日本企業の3割が賞与が出ないそうです。それを考えるとありがたかったなぁと感じるわけです。

さぁ、今日の後半戦もはりきってまいりましょう!!

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