月別アーカイブ: 2019年5月

【15】闘夏

先日、東京の学研本社でグループ会社の「社長会」なるものがありまして、初めて参加させていただきました。個人的には非常に勉強になる内容で、昨日はその「復習」をするためPCに向かい纏めてみました。「人の話を聞く」ということがどれほど自身の知見を広げ、モチベーションが上がるか……を再認識できた会でした。社員にも少しずつ学んだことを「現場の状況に合わせて」伝えていこうと思います。久しぶりに古巣で一緒だった青木社長とも会え、とても元気そうで何よりでした。私より若い彼からは元気をもらえます。

その会議へ向かう前の静岡駅で、「先生!小倉先生ですよね!」と声をかけてくる女性が。顔を上げてみると3年間責任者として指導をし、7年前に地元のトップ校である富士高校に合格したMさんでした。中1から顔が変わっていないことに少々吹き出しそうになりましたが(笑)、グッと堪え。彼女は助産師になるということです。本当に元気そうで夢に向かってがんばっているのだなと元気をいただきました。そうそう、彼女との一番の思い出は中1の1学期です。「先生、玉の輿に乗るにはどうすればいいんですか?」と質問され、「そうだね~。富士高校へ行って医者になるような人を見つけてお付き合いすればいいんじゃないかなぁ~」なんて半分冗談で話したところ「じゃ、富士高へ行きます!」と返してきて、そのまま3年後には富士高に合格する……というのが印象的でしたね。塾の先生やっていると面白いことが多いです、本当に。彼女は今でもブログを毎日のようにチェックしてくれているとのこと。(過去、富士宮西校舎・唐瀬校舎・長田校舎・中原校舎などで書いてきているので)本当にありがたいことです。

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先日の日経新聞に「教員免許取ったけど」という見出しの記事がありました。簡単に書くと「多忙」を理由に学生が教員になることに対し敬遠気味で、採用倍率は過去最低の3.2倍とのこと。「学校こそがまさにブラック企業」なんて話も聞きますが、そう感じるのは人それぞれ。「誰に何と言われようが、好きな仕事をするのが一番!」と私は思います。記事には納得の言葉も。「心のゆとりがない教員がきちんと指導できるのだろうか」確かに学校の先生は忙しすぎる面はあると思うし、この言葉には納得。ただし、自分たち自身でもできることがあるはずだと思います。なんでも組織頼みというのではなく、自分たち自らできること、例えば「やらないことを決める」なども必要ではないだろうかと感じながら読んでみました。

私も文理に入社し数年で「組織としてやらない」ことをいくつか決め現在に至っています。例えばかつては小1~小3も指導していましたが、英会話部門を除き現在は実施していません。これも「心、頭と時間に遊びを」という考えからでしたが、現在の文理をみるとその「選択と集中」に間違いはなかったと思えます。車のブレーキやハンドルにも「遊び」というものが存在します。それと同じですべての事柄に「遊び」が必要です。その「遊び」を設けることが、心と頭、そして時間的な余裕を生み、その余裕から仕事ができる人ほど「新たなサービス」を創造します。実際、文理学院の各校舎ではHPやチラシに載らないサービスが存在します。サービスといえば……いよいよ夏期講習生の募集が始まります!

写真は静岡市で展開するチラシですが、唐瀬校舎の山西ブロック長を中心に校舎長たち、事務の担当者、広告代理店担当者のみんなで作った渾身のチラシです。いいものができました!各地区のチラシも見ていますが、どのチラシも違っていて、それぞれいいですね。金子みすずさんの詩ではないですが、個性溢れる感じが文理らしくて「みんなちがって、みんないい」ですね。今週には第1弾が新聞に折り込まれます。今年は「早く、多く」をキーワードに募集をしていきます。令和元年の夏は「文理学院の夏期講習」にぜひご参加ください!

この夏は文理の夏期講習ですよ!!

【14】達観

苦しみが無くなるのではない。苦しみでなくなるのだ。

この言葉も大変いい言葉ですね。いい意味で慣れる、慣らす。当たり前の基準がより高くなる。受験生に贈りたい言葉ですね。受験って「本気で取り組めば苦しい」はずなんですよ。勉強を苦しいと思っていない受験生は、「本当の意味では受験生ではない」のかもしれません。物事、本気で取り組むと結構苦しいものです。その苦しみと対峙し、乗り越えていった先が「苦しみでなくなる」……ということでしょうか。一言で『達観する』ということですね、きっと。もっともっと自分自身を刀のように研ぎ、磨き、そのような境地にたどり着きたいと思いますね。

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今日は午前中の仕事を終えた後、散歩しながら食事に出ました。豊田校の近隣をゆっくり歩いたことがなかったので、よく知らなかったのですが「八幡山」,「八幡神社」,「八幡山古墳」,「八幡山公園」があるのです。「新緑が奇麗だなぁ」なんて歩いていたら「あれ?神社があるね」と。宮司さんに聞いてみると、裏山に当たる八幡山をトレッキングなどに使っている人たちも少なくないとか。近いうちに私も登ってみたいと思います。豊田校から北へ上がれば、私がよく参拝する「静岡縣護国神社」もあり、その裏手にも谷津山が広がっています。そこも登ってみたいと思いつつも、忙しさなどにかまけて未達。そのうちの登ってみます。

昨年末くらいから各校舎のブログをじっくり読むようにしているのですが、ここ最近は更新数が多くて楽しみが増えました。「個性あふれる学習塾」といった文理の良さが出ています。勉強のお話だけではなく、家族の話などプライベートに関することも。保護者や生徒のみなさんも、その校舎に勤務している教師の「人となり」を感じることができ、楽しんでいる方も少なくないように思います。 適当に書くのでは意味がない。しっかり書くと、仕事に対するモチベーションが上がってくる不思議なツールがブログです。私はそのようにしてブログを利用してきましたが、そのような人が増え始めている気がしています。他塾のブログもたまにみますが、文理の社員の書くブログは一味も二味も違って面白いですよ!ぜひ、読んでみてくださいね。

【13】浸透

GWが明け、5/7(火)は晴天です。今日は朝9:30から仕事を始めています。中1の英語テスト対策の準備、メールのチェック・返信などが一段落したのでちょっと書いておきます。

週1で甲府へ行きます。「会議への参加」と「入社試験・面談」がメインの仕事です。今日、メールをチェックしながら手ごたえを感じました。それは「校舎長の簡易レポート」を読んでの感想なのですが、会議で全体に伝えていること、ブロック長(荒井さん・宮下さん)と話をしていることが各校舎長へも浸透していると感じられたからです。校舎の繁栄、塾生の成績向上には「方法」があります。その根底には正しい「思考・行動・心・言葉」があるわけですが、そのことが浸透し始めていると感じるわけです。甲府地区ではまだ「No.1の学習塾」ではない文理学院も、校舎を展開している各地域では一定の評価(校舎によってはかなり高い評価)を受けています。いずれは「甲府No.1」となれるよう校舎展開含め、地区の社員一丸となり、これからも塾生のために汗をかいていきます。

この仕事に限らず「サービス業」で成功する人には共通点があります。それは「お客様の喜びが自分の大きな喜びである」と心の底から常に感じている……という点です。張りぼてのように外見だけ繕っているのは必ずお客様に見抜かれ、最終的にはお客様は離れていきます。心の底から「お客様の喜びに寄与したい」と常に考えている人は、例えば塾の仕事でいうと「自身の知識を高めてもっとわかりやすく生徒に教えたい」、「もっと授業力を上げて生徒たちのやる気と向上心を上げていきたい」と日々自己研鑽していくでしょう。『自分の成長が先か、相手の喜びが先か』なんてことはどうでもいいのです。どちらが先であっても、結果「目の前の生徒・保護者のお役に立てていることが自分自身とても嬉しいし、楽しいんです!」と何の衒いもなく言える人が、最終的には塾・予備校業界で長くいい仕事をしていける人であると言えます。文理学院の教師陣にはこのような人が比較的多いのではないかと感じています。

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今月中旬から文理学院の各エリアでは「夏期講習生の募集」を開始します。今年はいろいろと工夫を凝らした企画や募集方法を取ります。各エリアのブロック長や校舎長が考えに考えた「文理の夏」をみなさんにお届けしますので、期待してお待ちくださいね!!


【12】信条

GWが明け、これから日に日に「日常」を取り戻すであろう日本。「非日常を満喫」するのも大切ですが「現実世界で汗をかいてがんばる」ことのほうがより大切です。私も含め、みんながんばりましょう!!

さて、タイトル「信条」ですが、「堅く信じて守る事柄」という意味があります。みなさんには「信条」はありますか?私は振り返ると「信条らしきもの」があります。それは「誰が言ったか、ではなく何を言ったかで判断する」ということです。よく、立場の上の人が言うことに迷いなく従う人や、自分の好きな人、尊敬する人の言うことは基本的に正しいと思っている人を見かけますが、そんな彼・彼女を見ていると「可哀そう」だと思うことがあります。柵(しがらみ)や組織の論理で「賛成しなくてはならない……」みたいな感じってありますよね。私は子供の頃からそれができなかったのです。「何を言ったか、言っていることがまともであるか」が良し悪しや賛否の基準になっているので、相手の役職や年齢、好きか嫌いかはまったく関係ありません。それ故、よく上司と喧嘩したり、言うことを聞かなかったりは、ある時期(組織で)日常茶飯事でした。間違って捉えてほしくないのは「単に反骨精神の塊」ではなく、あくまでも「相手の発する言葉が、まともであるか?」で判断してきました。「まとも」の基準は、社会通念上おかしくなかったり、みんなが不幸せにならないと判断できたり、理不尽な指示や要求でなかったり・・・やはり考えるのは「みんなにとって……」ということが根底にあります。みなさんには「信条」はありますか?

さぁ、今週は会議に出張に、テスト対策に忙しい1週間です。楽しんで、喜んでお仕事をしていきたいと思います。「久しぶりだね日常生活!」と帰ってきた日常を謳歌します。

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先月30日に茨城県で中3女子が自殺してしまったそうです。教諭の暴言が主な原因だそうです。とても悲しいことです。昔、ある社員が生徒に向かって「死ね」と言っていたことがあり、私は激怒して注意したことがあります。本人は軽い気持ちで言っていたのかもしれませんが、それはどうでもいいことです。通常の生活で、また、勉強を教え教わる師弟関係の間で「死ね」とは、到底使う言葉ではありません。不必要で不適切な言葉を使う人間の「浅はかさと甘え」がそこにはあります。私は自分の周囲に「言葉」の大切さを伝えています。それでも理解できない人間や、悪い癖が抜けない人間がいるかもしれませんが、やはり「言葉」の大切さを伝え続けなくてはいけないと思っています。「言葉は相手を生かす道具にもなり、殺す兵器にもなる」ということを、大人が、特に我々のように教育に携わる人間たちが自覚しなければなりません。同時に思うことは「死んではいけない」ということです。その意味は、①強く生きてほしい、②そこでなくても居場所は他にもある、③人間そんなに酷いやつばかりではない……などの意味を込めてですが、本当に自分を大切に生きてほしいと思うわけです。


【11】SDGs

今日は5/6(月)。長いGW休暇の最終日ですが、どうもこのような長い休暇は日本人気質に合わないように思うのは私だけでしょうか??「国民性」という言葉があるように、日本国民は敗戦後の努力によって経済復興を遂げてきました。「勤勉さ」や「忍耐強さ」が日本人のある意味共通するよいところであるように思うのですが、いろいろな要因でそられが薄らいでいるようにも思えます。個人的にはこれらの「日本人気質」はなくならないでほしいと思っています。

最近読んだ本の一説、ドイツ人牧師であったマルティン・ニーメラーさんの言葉が印象的でしたので書いておこうと思います。

「ナチ党が共産主義を攻撃した時、自分は共産主義者ではなかったから何もしなかった。ついで社会主義者を攻撃した時も、自分は社会主義者ではなかったからやはり何もしなかった。そして学校や新聞が、ユダヤ人などが攻撃された時、不安はあったが何もしなかった。やがてナチ党は教会を攻撃し始めた。自分は牧師だったから行動を始めた……しかし、それは遅すぎた。」

この一説は私たちに迫るように次のようなことを問いかけていると感じるわけです。『目の前で起きていることは他人事か?』、『対岸の火事として傍観していて本当によいのか?』、『間違ったことがまかり通ることの恐ろしさを噛みしめよ』などなど。いろいろと考えさせられます。私たちの仕事にも大いに役立つこの一説。自分たちなりの解釈も交えて「思考と行動の糧」となれば幸いです。

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SDGs(持続可能な開発目標)は国際社会共通の目標です。これは17項目(これらをより具体的に169の項目にターゲットとして定めています)からなる「誰ひとり取り残さないことを目標に、世界が一体となって達成するべき目標」です。学研グループもこのSDGsに取り組んでいます。

達成期限は2030年としていますので、それほど時間はありません。思うところは、「このような具体的目標を掲げ取り組むことは非常によい」、「企業としてできることは意識して行っていきたい」、「それでも一番リーダーシップを発揮しなくてはならないのは国家である」といったところです。先日、「2030年の市場と世界観」というテーマで簡易レポートを纏めてみましたが、再度このブログを書きながら深く考えてみようと思いました。

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午後5時。静岡市豊田校には中学生が5名勉強しにきています。高校生も3名勉強しにきています。本当に偉いなと思います。中学生がGW期間に進めた10時間ほどの授業。これが大きな差となってきます。まさに「微差が大差を生む」です!中2も中3同様、今日から「テスト対策授業」に入っていきます!自己最高点を目指し、全力で駆け抜けていこう!!

【10】言葉

今日は中3の授業を久しぶりに担当しましたが、とても充実し、よい疲れを感じた時間でした。欠席もほとんどなく、机に向かう彼らをみていると「なんとか定期テストで成功させたい!」と思うわけです。塾教師としてのやりがいや使命感を感じる瞬間でもあります。

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「思った通りにはならないが、やった通りになる」

私はこの言葉が大変好きで、奥深さを感じ「座右の銘」の1つとしています。「思った通りにはならない」ことは様々な場面で感じますよね。これは人生を積み重ねていくと「妥協」という言葉の通り、自分自身を誤魔化すなどしてやり過ごすことができるようになります。「やった通りになる」は奥深い言葉ですね。この言葉からは「行動」が大切である。そして「その行動」が正しければ正しい結果に、間違っていれば予想しなかった悪い結果を招くという意味でしょうか。勉強や仕事、広い意味では人生においても「そうである、その通りだよなぁ」と感じながらも、なんとも説明がうまくできない「やった通りになる」ということば。私はこの言葉の奥深さにいつも考えさせられます。

私はよくこんな話をしたり、書いたりしてきました。「自身に降りかかるすべてのことは、自身が蒔いてきた種の良し悪しで決まるものだ。いい種を蒔いている人にはいい結果が、悪い種を蒔いている人にはそれなりの悪い結果が下されるものだ」と。「悪い種」とは例えば、非礼無礼であったり、陰口であったりがそれにあたると個人的には思っています。もしかすると、この話と通じるのが「やった通りになる」ということか。考えれば考えるほど、私にとっては深い言葉です。

GW期間も残すところ2日間。明日は「子どもの日」ですね。先日、TVで「子どもの日をよく知らない子どもが半数いる」という調査結果を伝えていました。それは親が子どもの日に何もしないからか・・・。その調査の中でこんな質問がありました。「自分に対して親に何をしてもらいたかったか?」それに対する答えの多くに「もっと褒めてもらいたかった」と。なんとも重たい言葉(変な意味ではなく)であると感じました。みなさんはいかがでしょうか。「大人として子どもを褒めていますか?」

また、明後日に中1・中2の授業があります。塾生のいいところを積極的に見つけ、褒めてあげたいと思います。「やった通りに子どもたちも成長する」でしょうから。