【739】ご縁

9/10(金)は残暑が厳しい1日となりそうですね。

今日は「山梨県校舎長研修」で甲府へ来ています。研修テーマは「リーダーシップ」とのこと。私もまだまだそれが足りませんので、宮下ブロック長から教えを乞いたいと思います。よい研修会となるでしょう、きっと。

Water me

私の大好きなミュージシャンの1人にBONNIE PINKという日本人がいます。40代前半は彼女の仙台・金沢・東京・名古屋などでのライブへよく行ってました。2015年の渋谷公会堂でのライブ参戦が最後ですが、その際に本人から「結婚報告」がありまして、それ以降の活動は少々控えているのかなぁ。コロナ禍もあり、この数年間は彼女の生の声を聴く機会に恵まれておりません。その彼女の曲に「Water me」というものがあります。次がその歌詞の一部です。

あなたに書いた手紙で泣いてくれるなら、何万通も書こう、ある事ない事書こう、月灯りでも書こう

今日の出勤途中で久しぶりに聴いたのですが、この部分はいつも「人それぞれ解釈が大きく分かれるよなぁ」なんて思って聴いています。私の解釈は割愛しますが、みなさんはこの字面から何を感じるでしょうか。

で、本題に。

人それぞれ、1つの事象を目の当たりにしたり、1つの話を耳にしたりする中で解釈が違ってくることって自然ですよね。その違いって良いも悪いもないことが少なくないわけですが……例えば、先の歌詞に対して「相手への無償の愛を感じる」とか、「少々、性格的に歪みのある人物かな」とか、「執拗に物事や人に執着する性格かな」とか、人によっていろいろと感じることは違って当然ですよね。

その違いって主に「生い立ち・価値観・感受性」の3つから生じるように思うんですね。どうでしょうか。「違いがあってよいし、その違いの良し悪しの判断をするのは(物事によりますが)難しい」ですよね。この数か月、いろいろな人と話をしたり、いろいろな人を観察していると、つくづく「人っていろいろなんだなぁ」と思います。同時にその理由はきっと「生い立ち・価値観・感受性」(生い立ち→価値観+感受性)の違いから生ずるものなのだろうなぁと思うわけです。

「価値観の合う人」と一緒にいるとよい。

よくこんな言葉を耳にします。「価値観が違うので別れました」なんて夫婦やカップルの話も世の中にはたくさん転がっていますよね。しかし、会社を経営していると「価値観の違う者同士が集まっているからよい」ということも少なからずあるわけです。なんてことを突き詰めていくと……

「価値観の相違では無く、自分自身の人間的成長に必要な人と一緒にいること」

が公私問わず「本当の幸せ」に繋がっていくのではなかろうか??というある種の自分なりの「解」に辿り着くわけです。

なんてことを先日、綺麗な月をみながらぼ~っと考えていました。(あ、天体望遠鏡を買おうかと思案中です)

振り返ると私の場合は公私ともに、そのような「自分を成長させてくれる人たちとの出会い」が、今の自分自身を創り上げてきたのだと改めて感謝の気持ちでいっぱいになるのです。そして同時に「縁が切れていく人たちとは、そうなるべくしてなっている」のだとも感じます。「縁」って切るときには無理にでも切る必要が生じます。京都の縁切り神社「安井金毘羅宮」へわざわざ行ってきたこともあります。それとは逆に「縁」って無理やり紡ぐものではないと思うんですよね。「縁」ってものは”その人たちやその集団にとって必要だ”……と、何らかの力が働いて自然と繋がっていくものなんだよね~と最近の自分自身の仕事上の経験から思うのです。

自然と繋がるご縁に心からの感謝をしながら、日々を一生懸命生きてまいりましょうね!

ちなみに「ご縁」は英語で「fate」(運命)、「lucky」(幸運)等と表すことができますが、なんか英語にしてしまうと違ってしまいますよね。「ご縁」って言葉は日本語の中でもとても奥深い意味のある言葉だなぁなんてこれを書きながら思った次第です。

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