【211】岐路

2月に入りました。少しだけ冬らしい雰囲気になっていますが、個人的にはこのまま一気に春へ向かって欲しいと思っています。寒いのが苦手なんで。今日は入社契約です。また、優秀な人材を文理に迎えることができました。静岡県東部地区で活躍してもらいます。そのうちに「三島」へ校舎展開をします。徐々にその体制も整えていかなくてはなりません。

センター試験、山梨県公立高校前期試験と入試が1つひとつ終わり、これからの1ヶ月が受験生にとってまさにラストスパートとなります。新型肺炎など心配なニュースもありますが、体調を万全にして「人生の岐路」に臨んでほしいですね。

岐路

昔、担当校舎の保護者会でこの「岐路」について話をしたことを思い出しました。私の学生時代から40歳くらいまでの人生でのいくつもの岐路で、どう考えてどう行動してきたかについて具体例を挙げながらお話をし、その延長線上で「塾生諸君にもこれからいくつもの岐路が訪れる。その際には……」といった話でした。

岐路に立った時、道を誤る人間とそうでない人間がいます。私も道を誤ったと思えることが人生において数回ありました。人間だれしもそんなところがあります。しかし、その岐路に立ち、1つの道を選択した責任は自分自身にあります。誰の責任でもないのです。「自分の責任で道を選んだ」わけですから、どんなことが起こっても受け入れるしかありません。それが「人生」というものです。

但し、一度誤った道を選択しても、場合により戻ることもできれば、違う道を自ら探すこともできます。それには「自身の勇気と周囲の助け」が必要です。

私の直属の部下だった1人の男の話を書いてみます。

文理において彼とは中途の同期入社で、入社後半年後に富士宮西校舎を共に立ち上げました。それから数年経ち彼は別の校舎の校舎長を担当しましたが、1度文理を離れました。それから数か月して彼から私の携帯へ就職に関する相談がありました。そこで私は「文理に戻ってこい。明日、加賀理事長(当時の代表)のところへ行って一緒に頭を下げてお願いしよう」と言い、実際、翌朝に彼を同乗させて都留市まで向かいました。彼の要望もあり事務仕事での復帰からでしたが、途中で事務には向いていないと彼自身が判断し教務職に戻り、現在も文理で活躍しています。その彼はこの3月以降、数学・理科で教務職を一部担当しながら「新たな仕事も担当」することとなりました。その仕事はざっくり書けば「文理を更によくするためのお仕事で、やりたくてもなかなかできないでいるお仕事」と言っておきましょう。2週間前に担当の執行役員、ブロック長、本人と私の4人で今後の仕事の仕方や内容に関してのmeetingを行い、その内容が運営戦略役員会で承認されたわけです。

「現場を知っていて、校舎長経験もあり、大校舎の校舎運営に長年携わり、勉強熱心で、定年までの十数年を文理のために懸命に働きたいとの彼自身からの熱意ある提案もあり」……「人生の岐路」に立ち、今までの自分自身とこれからの家族も含めた自分自身を考え……周囲の理解・賛同もあり文理で新たな道を彼は切り拓いていくことになったわけです。もちろん、彼は今後与えらるミッションを日々完遂していくという責任を果たさなくてはなりません。そのミッションの根底には「塾生とその保護者、社員とその家族にとってプラスになるか」という経営理念があります。

もちろん、誰でも彼のようになるとは限りません。その人物のこれまでの社内における貢献度だったり、会社側が必要とするタイミングだったり……複数のことが絡み合って「そうなる」のです。私の場合も振り返れば様々な岐路に立ち、まさに状況やタイミングで道を選択してきて、今があると思いますが、仕事上の自身に関して言えば選択ミスは少なかったと考えています。それは「いかなる時にも自分自身の仕事や教育に対する信念をぶらさず、塾生や文理のために仕事と真摯に向き合ってきた」からだと思います。「文理のため」の根底には加賀理事長が「文理を大きくしたいから手伝ってくれ」と入社時に私に言った言葉です。私にとっては「組織を大きくすることが文理のため」であったということです。仕事上、道を誤ることが少なかったのは「周囲の人たちが私に道を誤らせないよう導いてくれた」と言ってもいいでしょう。

周囲に迷惑をかけず、日々真摯に人と事に向き合い、利他の心で生きていれば、必ず人さまが助けてくれて、自らの道も拓けていくものだ。

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