【98】種を蒔いて生きる

8/31(土)は都留本部へ来年新卒予定者の入社面談と試験にやってきました。なかなかの好青年でしたね。採用活動は人事課の鷲山さんと私が担当していますが、今年から「採用専属」で仕事をしてくれる社員がいることで、新卒採用が例年にくらべ順調だと感じています。企業によっては第5次面接などがあると聞きますが、弊社の場合は1日で面接・試験を実施し、数日後には結果を通知するようにしています。理由は①学生側にも時間・交通費に限りがある、②何度も会わなくても凡そこの仕事に向いているか否かは判断できる、③入社後に教育していくことでいくらでも成長させることができる……といったことです。

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今日は少々重い話を最近の出来事から書いてみようと思います。

人間には色々なタイプがいます。その中で1番信頼できるのは「嘘をつかない、大切な仲間を裏切らない、誠実であり責任感がある人」ということになるでしょう。弊社にもこのような方々がたくさん存在しています。だからこそ現在の文理学院があるのだと思います。そのような人たちは人生において「親の育て方」、「一緒に育ってきた仲間」、「お世話になってきた目上の人たち」などの影響で「信頼たる人間」として育ってきたのだと思います。1人では生きることができませんからね、人間は。私も今の自分があるのは「両親」、「同僚や部下などの仕事仲間」、「お世話になった先輩・上司」のお陰だとつくづく感じています。その人たちに共通しているのは「他人に迷惑をかけず、他人のお役に立てるような生き方をしなさい」という教えが根底にありました。その教えがあって、今の自分がある。大変感謝です。

一見、信頼できるように見える人間も「ここぞの時の言動」で化けの皮が剥がれます。それがその人の本性なんです。「結果的に取る行動、結果的に吐き捨てる言葉」がその人間そのものであるということを肝に命じて生きていかないとなりません。長く生きていると、また責任ある立場にいると本当によくわかると思うのですが「無責任且つ自己中心的な人間の言動」に振り回されることがあると思います。文理学院の創業者である加賀先生や、現校舎開発室長の川上先生の過去の話や、この16年ほどの出来事を振り返った時に「いろいろあったよなぁ」と「無責任且つ自己中心的な人間の言動」を思い出すことがあります。そのたびにまず最初に思うのは「親の育て方だよな」と。「三つ子の魂百まで」という言葉がありますが、その言葉は本当であると思います。そして次に思うのは「家族・身内・側近の人たちの人間性だな」と。例えば、まともな人なら家族や身内、組織の一員が他人様に迷惑をかけた時(かけそうな時)、「それは人道に反している」、「それはあまりに無責任だ」、「それは他人様に多大な迷惑がかかる」……だから「それは人としてやってはいけないことだ」となるでしょう。しかし最近、このような「人道に関するまともな話」が通じないことがよく見受けられますね。高速道路での煽り運転で逮捕された男女、隣国のトップの政治発言……などなどなど。そして、そういった「無責任且つ自己中心的な人間」は自身に火の粉がかかりそうになると、自分のやっていることを棚に上げて、表向きの謝罪等の言葉とは裏腹の「保身に走る言動」を繰り返す……。まさにそれこそが「その人間の本性」であるわけです。

良いことが自身や身内に起こる。悪いことが自身や身内に起こる。それは、そのほとんどが「自分たち自身が生きながらに蒔いてきた種」によって起こることだ。

「このような気持ちで日々生きていくことが大切だ」と、文理学院に入社してからの16年間、学びながら仕事をし、生きてきたように思います。

良い種は誠実さと責任感、そして利他の心から。悪い種は無責任さと自己中心的な利己の心から。

文理学院は創業時から学力向上だけを目指した学習塾ではありません。「人間性の向上」を掲げた学習塾ですから、頻繁ではないですが、たまにこのようなちょっと重い文章もお許しください。「塾生にも、社員にも、人として大きく成長してもらいたい」と強く願っていますので。


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