月別アーカイブ: 2019年7月

【50】謝意

とうとう50回目に到達しました。今年中に150本以上を目標に書いていきます!!

50回目は「社員のみなさん」への感謝のブログとします。なかなか会えない社員もいますし、会っても改めて感謝の気持ちを伝えることも少ないので、この場を借りて感謝の意を伝えたいと思います。

そう思い立ったのは昨日のリクルート活動でのこと。文理学院のブースには8名の方がいらっしゃいました。話の中で自然と「文理自慢」をしているのですが、その自慢の1つは「文理の先生は教えることが大好きな人たちばかりで、熱心な先生ばかりです。それはどの塾にも負けない特長だと考えています」ということです。

このように自然と「社員自慢」できるのは、日々の会議やブログなどで垣間見る「現場の先生たちの努力と活躍」があるからです。ここ最近、校舎ブログや校舎独自チラシの内容を見ていると「いかに熱心に塾生たちを指導してくれているか」、「生徒・教師の努力と保護者の皆様の協力で大変素晴らしいテスト結果を出している点」、「校舎長を中心とする教師陣の、この仕事に対する熱意と真摯な姿勢」などをひしひしと感じることが多いです。このような教師陣に支えられて文理学院が存在できているとつくづく思うわけです。

私は業者の方々と会って話をする機会が多いのですが、たまに経営者論・管理職論に発展することがあります。その中で「私が社長として感じていることや、できることは何か??」を話すことがあるのですが。こんな話をします。

「私(社長)は社員のみんなに食べさせてもらっているようなものだよ」

「社長風・上司風を吹かせ仕事をするようなことをしちゃいかん

「自分ができることは若い社員たちが安心してこれからも働ける職場づくり」

「善くしていく過程では、敗戦処理投手的業務をやっている部分もあるさ」

「数字を出すことは得意だからそれをハンドダウンするのも私の仕事」

「自分の利益を考えて仕事するようじゃダメ。相手の利益になるか??が大切」

「言い訳する上司はダメ。責任を取らない上司はもっとだめだな」

「企画についてヒントは出して出して出しまくるよ。あとは現場で考え役員会を通しなさいな!」

「役員会は合議制。私の意見だけで決まることはほぼないなぁ~」

「社員採用・校舎展開は私の大事な仕事。活躍の場、成長の場を与えるために」

「利他の心が大切。人のために働くってことほどパワーがでるものはないよ」

私は会社というものはみんなで創り上げたり、前に進めたりするもので、社長とはある意味「黒子」に徹し、現場が会社が先々うまく回っていくように手配する仕事を担っていると思います。同時に「ここぞの決断力・判断力」が必要で、その根底には「社員・塾生・保護者がそれで本当に幸せか?満足か??」という自分への問いかけがあります。そんな気持ち、心構えで仕事ができるのも「文理の社員たちのがんばりがそこにあるから」です。

㈱文理学院の社員のみなさん。日々、お仕事「ありがとうございます」これからも、数ある学習塾・予備校の中から文理学院を選んでくれた塾生と保護者の皆様の期待に存分に応えることができるよう、一緒に汗を流していきましょう!!これからもよろしくお願いします!!

追伸:昨年末から新しいチャレンジをいくつもしてきましたが、7/5(金)も人事課主催の「新入社員座談会+食事会」を実施します。私もそこで教育について、文理学院について熱く語ろうと思っています。若手の育成が10年後、20年後の文理を決めていく!!しっかりと努めたいと思います。

【49】人生

7/1(月)。2019年の後半戦がスタートしました。新たなスタートを切るにも、仕切り直しをし挽回を図るにも「1日だし、月曜日だし、1年の後半戦のスタートだし……」うってつけの日ですね~。後半戦、張り切ってまいりましょう!!

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不登校で学校や塾に通うことができない生徒がいます。いろいろな理由があるのだと推測しますが、そんな子たちに贈りたい9行の詩を目にしました。こんな感じの詩です。

気を遣うくらいなら

断りなさい

信頼されたいなら

断りなさい

自由になりたいなら

断りなさい

たとえ断っても

ついてきてくれる人を

大切にしなさい

詠み手はyumekanau2という方で「きっと明日はいい日になる」という書籍も出しているとのことですが、この詩は本質をついたいい詩だと感じました。

私はこの詩のような生き方をしてきたためか不必要なストレスを感じることも少なく、心の病に侵されることもなく健康に生きてこれた気がします。「人づきあいが悪い」とか「わがままだ」とかといった言葉がありますが、この数年間、多方面で叫ばれている「自分自身のことを大切に考える」、「自分の時間を大切にする」という観点からするとそれらは「言葉の化石」かもしれませんね。「人に、物事に、無理をしてまで付き合う必要はない」のです。「柵(しがらみ)でがんじがらめになる必要もない」のです。むしろそのようなことで心を病み周囲に心配をかけたり、気を遣わせたり、迷惑なったりするほうが自分自身にとっても大きなマイナスになります。

「生き生きと生きる」ほうがいいですよね。不登校の子の中には友達付き合いなどでストレスを感じてそうなってしまったという子も少なくないと思います。いろいろな意味で「無理をしない、自分らしい生き方」をしていくことが大切です。

もちろんそう書きながらも「助け合う」、「分かち合う」といった精神はとても大切です。学校行事や仕事などの「公の場」では以上の詩に当てはまらない場面もありますよね。「公の場以外」では「自分自身と自分の時間を大切にした生き方」をしていくほうが賢明です。私の場合も50年生きてきた後半の20年は色々な意味での断捨離を経て自分自身と自分の時間を大切にする生き方へと大きく変えてきました。現在、この場に立ち振り返ってみると、それは自分にとってとても幸せなことで、自分に合った生き方だったと思えるわけです。

塾生諸君に言いたいことは、まだまだ若く経験も浅い分「成功しても失敗しても大した問題ではない」ということです。難関校や志望校に合格したからといって将来が約束されるわけではなく、大きな失敗をしたからと言って人生が終わるわけでもない。1つひとつの事象は人生における通過点でしかなく、本当の意味で「いい人生か?」は50歳を超えたあたりで少しずつ分かってくるようなところがある。若い頃からの様々な経験を通じて「どう育つか」が大切です。その根底には「目の前のこと、やるべきことに心を入れて一生懸命やり遂げる日々を送り続ける」ということにつきます。