【956】人間というもの

5/25(水)晴れ。今日は大変夏らしい日ですね。

昨晩は南部町から帰宅したのが遅かったため、今朝7kmジョギングを。その後、ランチ経由で床屋さんの列に並びながら携帯電話でブログを書き始めました。昨晩の南部町での学習・生活支援には前回来てくれた生徒がテスト勉強に来てくれ、武藤さんの指導の下で頑張っておりました。あと3日でテストということでしたので、いい結果が出せるといいですね。

南部町からの帰り道、ナビであるテレビ番組を視聴しながら静岡へ。犯罪者が犯罪を犯す背景に迫る番組でした。努力家で成績優秀であったA氏の転落人生をドキュメンタリータッチで紹介していました。それを見ながら感じたことは

「家庭を含め身を置いている環境はとても大切だ」

「自分の人生を人のせいにしてはならない。すべては自分が撒いてきた種と物事の捉え方で決まる」

ということだ。

上の2つは矛盾しているようにも感じますが「仮に劣悪な環境に置かれても、自分さえしっかりとした信念を持ち流されなければ、また不遇を感じても他人のせいにせず自分自身の努力や考え方、モノの捉え方さえブレなければ転落するような人生を歩むことはないだろう」と思うのです。しかし、そう書きつつもA氏の両親はギャンブルに狂い、高利貸しに5,000万円もの借金をし、子どもを捨て蒸発したと聞けば「そう簡単にはいかなかったよな」と同情。犯罪を犯すのは当然よいことではない。しかし、その背景には私たちが想像もできない壮絶な理由が存在する場合もある。

立場上、そして私の年齢もあり、よく「人間」について考えることが多くなりました。もともと若い頃から「人間watching」は好きなほうだと思います。他人の言動を観察しながら色々考えてきました。「その言動の背景」を捉えること、考えることがその人をより理解することに繋がっていくと思いますから「人間観察」、「洞察」はとても大切であると思います。たまに管理職以上にも「人間を勉強しなさい」と言います。「物事を多面的に捉えなさい」とも言います。「人間を勉強する、物事を多面的に捉える」とは、別の言葉に言い換えれば「その人物の考えや功績を学ぶ」、「歴史そのものを学ぶ」、「直接話すことでいくつものケーススタディを重ねる」といったことです。

今日は諸々の業務を切りの良いところまで終え、市川三郷町に学習・生活支援のフォローに来ました。そろそろ生徒が来ると思います。楽しみです。「山梨県子どもの学習・生活支援」も2週目に入りました。9月1日までの私の視察(応援)シフトも決まりました。来週からは凡そ週2回のペースで視察します。色々な社員とも話す機会が増えるので、それも楽しみの1つなのです。

6月も充実した時間にしていくぞ!

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